2011年1月21日金曜日

足を負傷/話し合いのできる相手

いつかどこかのまちかどで。
ともだちの名前そのまんまだったので本人に送ってあげました。ふふ。

昨日、足の小指をオフィスの家具に盛大にぶつけ、負傷しました。
しかもただの打撲と思ってほっといたら、実は角柱の角に強打しており、
廊下に点々と落ちる血痕を上司が見つけ、そこで初めて流血していたことに気づいたという。
結構深かったみたいで、今日もまだ歩き方がぎこちないです。
走れないのが結構ショック…運動したかったんだけど傷口開くの怖いし、何より痛いし…( ´;ω;`)



さて。
お酒無しで長時間話せる人物というのは、とても貴重だと思う。
もちろん、話し終わってじゃあねってなってから、精神的疲労が全く残っていないどころか、かえってスッキリするような。

私自身は本来、話は得意なほうではない。むしろとてもへたくそだ。
へたくそだから、本当にうちとけるまですごく時間がかかるし、それまですごく"頑張って"しまう。
だからこそ、今までに出会えたそういう人々はとても数が少ない。出会えた事にありがとうと思う。


1〜2年前に、職場の、同僚に近いけれど一応上司にあたる立場の人と、たまたま会社に遅くまで残っていた。
さらにたまたまその人が車だったため、送ってもらうことになった。
その流れで、当時の会社の問題点や仕事のやりかたについて話し始めたらなかなか終わらず、結局明け方までかかった。

その時は、とても建設的な話をした、つもりだった。けど、終わってからの疲労感と疑問の数が半端じゃなかったし、具体的な希望や得たものを探したけど、正直言って思いつかなかった。

何故だろうと思っていたけれど、後からわかったことは、結局その上司がその時の不満や欲求を、さも相手や周りのことを思っているふりをしてぶちまけていただけで、話したことがほぼ全て、何にも繋がっていないからだった。
別に伝えなくても良い悪口や批判。又聞きの不確かな情報とさらにその批判。反論しようとすると、”相手のためを思って”みたいな言い方をするから混乱して、何も言えなくなる。

その事実に気づいてから、その上司の言うことや行動はあまり信用できなくなった。
外面はいいけれど、あの時私に話していたように、私のことも誰かに悪く言っているのだろうなと思うし。
文句を言う口ばかり達者で、行動が伴わない人物。まさにそれだった。
たぶん頭では理解できていなかったけど、あのとんでもない疲労感は、どこかで気づいていたのだろうな。


そんなことがあったから余計に、周りの貴重な人物が素敵だし、大事だと思う。
何より素直に「また会いたい!」って思えるのって、何気に結構すごいことだと思う。

最近はすごくいろんな考えや思いが交差します。
ぐるぐるぐるぐる、結論はなかなか出ないし行ったり来たりだけど、
苦しいのは成長してる証拠だと思って、変に結論づけることなく、けど諦めずに、答えを探していこうと思っています。

周りに居る大事な人達のために何かがしたいし、仲良くしたいという思いだけは確かにあるから、それに付随するプラスの感情とマイナスの理由付けと。
ゆっくり考えていこう。

2 件のコメント:

  1. 前回の記事といい考えさせられることが多くて、読んでいてとてもためになってます。

    ちなみにですが元ライブドアの堀江氏もほぼ毎日必ず誰かと夕食を取るみたいですねー
    (情報交換を兼ねて)

    それを知ってから更に自分が行き詰まっているときに人に会って何かネットじゃ得られないモノにかけてみるということをするようになりましたw

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  2. >00cross00くん
    えっ!こんな駄々漏れブログで何かためになることがあるのか!!(驚
    いやいや、ありがとうございます。嬉しいです。

    人と会うと、やっぱり1人で頭のなかでぐちゃぐちゃ考えていたことが、実は気にも留めるものじゃなかったとか、すんなり答えが出たりとか、そういうことが多くて。

    時間を誰かと共有するってだけでも、何もしないよりも、何かしら影響があると思うんです、よ。

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