2011年1月7日金曜日

たのしさを見つけること。

相変わらず編み物熱が再燃中で、こんどはティッシュボックスカバーなどを編んだりしました。
たのしい…!!
かぎ針は私にとってやっぱりモチーフが基本だな。かぎ針で続けて編むやりかたをすると目数を間違えるのです。

それから、年末年始で健康のためにちょいちょいジョギングをしたりしてたのですが、
走る楽しさにちょっぴり目覚め、
さきほども深夜のジョギングなどしてみました。
最初はすごく寒いけど、その寒い中走り続けていると、徐々にからだが暖まっていくのが楽しい!
時間がある時はなるべくからだを動かしたいなあ。

なんにしても、「楽しさ」を見つけられたら、もうこっちのもんだって感じがします。


いちばん顕著なのは仕事だと思うのですが。
人との付き合いかたにしてもそうですが、こうすると楽しい!っていうのが見つかると、楽しくするための準備を知らず知らずのうちにするわけです。
そして、その準備は苦ではないわけです。なぜならその後楽しいことが待っているから。

どこでもそうだと思いますが、うちの会社にも残念な上司が何人かいます。
ある1人の上司は、仕事で新たな案件が発生すると、なぜかいつもイライラした喋り方をします。
なぜなら、「仕事=嫌なもの」という認識が染み付いてしまっているから。
その人にとっての仕事というのは、何においても、"嫌だから早く片付けたいもの"でしかないわけです。
だから仕事中の対応もキレ気味のことが多い。どうして私がこんなことやらなくちゃいけないの?と言わんばかりです。
で、予定していたより仕事が早く終わったりするところっとご機嫌。直前まで自分が感じ悪かったことなんて棚に上げて、ほかの忙しくてイライラしてしまっている人の批判をするわけです。

職種によっては難しいこともあると思いますが、うちの会社は少なくとも ものづくり の会社です。
作るほうが楽しさを見つけなくて、どうしてそれを見る人を楽しくさせられると思うのでしょう。
そんなつくりかたをしていたら、「まあまあ」のラインでおさまるしかなくなってしまう。
それをみても、ふうん、で終わってしまう。その先が無いのです。

せっかくの仕事なのだから、少し難しそうに思えても、いちど噛み砕き、それから楽しくなる方法を探せばいい。
まず受け止める、ということができていない人が、うちの会社にはとても多いように思います。

かくいう私もつい最近まではそうだったし、ものによってはそうも言ってられないものもあると思うので、偉そうなことは言えないのですが。
気づけたからには、なるべく実践していかねばと思ったのでした。

部屋を綺麗にしたら、家に帰るのが楽しみになりました。
こういう小さなことでも、楽しくなるきっかけというものは転がってるのかもしれないなあ、とか。

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