2011年4月9日土曜日

すきなひとがすきなもの

この間つくったバナナパウンドケーキなのだ。
たのしかった。またつくりたい。
パウンドケーキって失敗がすくなくて気軽だからうきうきする。



「すきなひとがすきなもの」を知る時はちょっとだけこわい。
「すきなひと」が「すきなもの」だから、自分もすきになりたくなる。肯定したくなる。
少なくとも否定はしたくなくなる。

だけどもし、どうしても納得できなかったり、違うって思うところがあったとしたら。
「すきなひとがすきなもの」を否定したら、
「すきなひと」をちょっと悲しくしてしまうかもしれない。
悲しくならなくても、ちょっとがっかりくらいはさせてしまうかもしれない。

否定してしまう自分のこともきっとちょっとだけがっかりする。
だけど嘘はつけないから。
嘘をついてまで、肯定したって、無理が出るから。

だから、ちょっとだけこわい。
だから、お互い理解しようっていうスペースがあればな、と思う。

余裕という名のスペースね。

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人の話をまず、じっくり聞く というのはとても大事で。
第一印象ももちろんあるけど。
知れば知る程、ああこの人はこういう話し方をするんだな、とか、
こういうことを考えていたんだな、とか、
わかるとたのしい。
その人がほんとうに考えていたこと、あまり深く話さないうちは教えてくれないこと、を
聞けたときは、うれしい。

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約束をしたのだったら、たとえ時間がかかっても果たしたい。
だからできなさそうな約束はしない。
どんなにちいさいことでも、ひきうけたのだったら果たす。

忘れてもいい約束、ってきらい。
あのときああ言ってたけど、あれってどうなったのかな。って思うあの気持ちがとても苦手。
なるべく今自分が思ってることをすぐ言葉にしたがるのは、そういう曖昧をなくしたいからかも。
説明してきちんと理解してほしいんだと思う。

もともと自分が相手の考えてることを勘ぐりすぎるから、そのせいだとは思うけど。
なんていいつつ、置いてきてしまったままの約束もたくさんあるんだと思うけど。


だからこそ、
すごく忘れてもよさそうなことを覚えていてもらえたときの、
あの嬉しさ。

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