2011年9月24日土曜日

数ってこわいよね



スタバの粋な心づかい。
こういうところが好きだぜスタバさん。


風邪を引きました、久しぶりに。
喉が弱いので(どうやら遺伝らしいことは最近知った)、だいたい喉からくるのだけど

なんか喉がひりひりすんなーやべーなーって思ってたら、
翌日もっと痛くなり、
さらに翌日鼻が止まらなくなり、
その夜には熱っぽくなってしまいました。 それが木曜日。

さっさと早退してさっさと寝て、金曜も隙あらばゴロゴロしてたらだいぶ良くなってきました。
夕方くらいになったらさすがに寝るのにも飽きて、掃除したり。
読書が進んだのでよしとします。
病気とかして「寝なければならない」状況にしないとなかなか寝ないので、ある意味休めて良かったかも、なんて。

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きれいごとだけでは世の中渡っていけないよなあ、と思う時があります。
いや、「きれいごと」を否定するつもりはないのです。
なんていうか、ポジの裏にはネガがあるということもわかった上で行動しないといかんよなあと。

そりゃ、素敵な面だけ見て実行していけたらいいとは思うけど、どうしたって出てくる悪い面をどう処理するかで、その人の評価が変わってくるというか。
きちんとネガな面も視野に入れた上で上を目指す人と、臭いものにはフタ的なスタンスで進んでいく人とでは、
できることも残せるものも違う気がします。
まあ、何に重きを置くかとか、何に価値を見いだすかとかで変わってくるから、
何が正しいだ悪いだって言うつもりはないけれど。
もちろん、揚げ足取りみたいなものもすごい卑屈だと思うから、ネガばっかり見てるっていうのも違うと思います。

今まで、目指すものさえ素晴らしければ何言ってもいい、みたいな人に指示されることが多く、
私もクソ真面目で、思い込んだら他が目に入らないような性格なものだから、
それが正しいと思い込んで、「これに反する者は悪だ!!」的な行動を取ったりしてました。
けど、人が100人いれば100通りの事情と価値観があるわけで。
何にでも、「絶対」っていうのは何か違うかなあ、と思い始めたのでした。

言われた価値観を一生懸命実行してたのに、ある時それを私に指示した張本人が、それと真逆な行動を取ってた時は混乱して、どうしようかと思ったしね。

それは、おかしいじゃないか!って怒るところじゃなくて、その人の考えたものと、私が解釈したものの間に何か相違があったのかなーと、今になっては思いますが。

だから、価値観を押し付けられたり、こうでなきゃいけない、とか言われるのはすごく苦手。
逆に人に指示したりするのもちょっと苦手なので、そういう意味ではマイナスなのかもしれません。

けれど、いろんな人に会って来たりして思ったのは、
これだけ様々な考え方や価値観があるのだから、
合わないところに無理して自分を合わせる必要なんて無いんじゃないか?ってこと。

かといってワガママを言っていいのかっていうと、また違うと思います。
人が集まるところには何かしらルールが必要なわけで、ある程度は合わせる必要があると思います。
言い換えれば気づかいとか思いやりとかって言葉になるのかな。

そのルールがあまりにも自分に合わなかったり、そこにいるメリットを差し引いても我慢できないなって思ったら、
合う場所に移動すればいいんじゃないかなって思ったのでした。

自分が大事にしてる/大事にしたいものが何か、っていうのさえ見失わなければ、
環境が変わってもそれを貫いていればいいわけで。

「きれいごと」を崇拝しているのはこわいなあと思います。
いいなあ、素敵だなあって思うのは大事だけど、
鵜呑みや全肯定はあまりしないようにしています。

一時的にはいいかもしれないけどね。

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